音楽イベントの場合は、単発になりがちで、継続的に環境行動で盛りSDmlrnms5U=">5LiKがろうという動きにはなりにくいのに対して、プロスポーツであれば、それができるというのが大きな差になります。
ヤングジェネレーションへの期待
どーも、早寝早起きしょーごです。
ここ二日6時起きですよ。
早く学校行って勉強してます。
今日は昨日解いた慶應の小論の過去問を先生に添削してもらいにいったんです。
まぁとりあえずその場では無理なので放課後着てくれとのこと。
期待を膨らませて授業をすごしました。
あ。現代文92点でまた2位だよ。くそったれ。
んでお待ちかねの放課後。
謙ちゃんの例も聞いてて手厳しい反応を覚悟してたんだけどさ。
S藤先生の第一声は「キズがない」。
へ?
「まぁ直すところはない。もし慶應が減点法でこれを審査するのなら減点するところはない」
思ってもみない高評価に朝早起きってだけでSDmlrnms5U=">5LiKがっているテンションがさらにSDmlrnms5U=">5LiKがってしまいましたよ。
まぁでも懸念すべきは加点法で採点が行われる場合。
俺の小論文はクソまじめなんですよ。だから奇をてらったものでない。
俺はいわゆる文学的表現を志向した俗的な表現が大嫌いだからさ。
簡単なSDoqIDokYk=">6KiA6JGJでわかりやすく書くことを心がけている。
どちらかというと慶應は後者のような発想力に富むものを好みそうじゃん。
でも先生も言ってたとおり今回の設問では奇をてらうように書きようがなかった。
あなたの意見を述べなさい、だけど本文を読めば答えはひとつしか出ない、みたいな感じ。
だからもうひとつの調書記入のテストで発想力はみるのではないかと思うんだけどね。
だったらカテゴリー=アイデンティティってなるの?
俺はアイデンティティの価値を高く見てるんだよね。
アイデンティティの確立は自分をカテゴライズしたSDmlrnms5U=">5LiKでそのカテゴリーを自分にしかできないことに作り変えたときに初めて成立すると思うんだよね。
たとえば伝統芸能である三味線を現代風にアレンジしてる人たちとかはその教科書的存在。
カテゴライズでは人はそのカテゴリーを生きる理由にまで昇華できないけど、
アイデンティティならそれを昇華しうるのでは?
どちらにせよ子供にはアイデンティティはなさそうですね。